サッチーが亡くなったか。
殺しても死なんような人やったけど、最近は認知症を患ってたって話もあるし、サッチーも年には勝てんかったって事ですな。
野村沙知代さんが死去 プロ野球の元監督・野村克也氏の妻
プロ野球の元監督・野村克也氏の夫人でタレントの野村沙知代さんが亡くなったことが8日、分かった。85歳だった。沙知代さんは福島県出身で、克也氏とは1978年に結婚。二人の間の第一子・克則氏もプロ野球選手に育てた。沙知代さんは克也氏と結婚前から野球場に姿を現すなど、積極的な外交術を展開。タレントとなってからも、「サッチー」と呼ばれ、毒舌風の語り口で存在感を示してきた。
85歳やからいつ死んでも不思議やないけど、死因は何なんやろな。
ちゅうか、普通の人の85年よりも密度の濃い人生やからねぇ。
野村沙知代
野村 沙知代(のむら さちよ、1932年(昭和7年)3月26日 – 2017年(平成29年)12月8日)は、日本のタレントであり、元プロ野球監督として知られる野村克也の妻である。旧戸籍名は、伊東芳江。愛称は「サッチー」。これは『笑っていいとも!』でSMAPの中居正広と共演した際に中居から「サッチー」と名付けられたという。出生名は伊東 芳枝(いとう よしえ)。所属事務所は株式会社エフエンタープライズ(東京・千駄ヶ谷)。血液型はB型。
生い立ち
終戦後の数年間には、東京・新橋の第一ホテルで皿洗いのアルバイトなどをしつつ、進駐アメリカ人兵士相手の「パンパン」として身を立てていたという。一方この時期、野村の自著によれば、野村はニューヨーク市にあるコロンビア大学”精神心理学部”を卒業し、同時通訳者になっていたとされている。
パンパン(売春婦)をしてた事もあったし…
略奪婚
野村克也との出会い1970年8月[6]、プロ野球選手兼監督・野村克也の所属している南海チームは、後楽園球場で行われる東映フライヤーズとの三連戦のために上京し、原宿のホテルに宿泊していた。野村克也はホテルから程近く、行きつけにしてある高級中華料理店を訪れたが、その際に沙知代と相席になったことがきっかけで、一緒に食事を取りながら談笑した。これがふたりの出会いとなった。
その後、1972年(昭和47年)頃には、沙知代は当時すでに既婚者だった野村克也と愛人関係になっている[7]。自身の婚姻関係も解消されていなかったことから、ダブル不倫の状態であった。1973年(昭和48年)には、野村克也との間に男児、克則が誕生(後の野村克則)したが、非嫡出子である同児は実父・伊東巳之吉との養子縁組が画策されたという。その後、野村克也は克則を自身の子として認知している。
ノムさんとは略奪婚やし…
衆院選立候補に学歴詐称疑惑
衆院選立候補と詐称容疑1996年(平成8年)、野村沙知代は第41回衆院選に、新進党公認候補として、東京5区・比例東京ブロックから重複立候補した。
選挙結果は落選(小選挙区で次々点、比例で次点)であったが、選挙後の1999年(平成11年)7月、選挙公報などに虚偽の経歴を公表していたとして、野村について公職選挙法違反(虚偽事実公表罪)で、計7件の告発が東京地方検察庁にされた。虚偽とされた内容は、「コロンビア大学留学」、「1972年に野村克也と結婚」などの記載で、告発者は女優・浅香光代らであった。検察の捜査員が、現地コロンビア大学で調査したところ、大学の事務当局には当時の留学生の学籍原簿や単位認定記録等自体が残っておらず、経歴詐称の証拠は得られなかった。また、婚姻歴については、息子・野村克則の誕生日から逆算し、1972年当時には野村克也と事実婚の状態であったと認定された。これらの事実を受け、本件は全件7件のすべてが、嫌疑不十分により不起訴とされた。しかしながら野村はその後、選挙結果に伴って生じていた繰上げ当選の権利を辞退する意向を示した。
衆院選立候補に学歴詐称もあったし…
脱税
脱税事件野村は2001年(平成13年)12月、約5億6800万円の所得を隠し、法人税と所得税、合計 2億1300万円を脱税したとして、法人税法違反(脱税)などの疑いで東京地検特捜部に逮捕された。野村の拘留期間は、起訴される後までの23日間に及んだ。当時プロ野球・阪神タイガースの監督を務めていた夫・野村克也は続投が決まっていたがこの事件の発生を受けて妻の逮捕直後に監督を辞任した。
脱税事件もあったし、何ちゅうても世間を一番騒がせたのは…
ミッチー・サッチー騒動
ミッチー・サッチー騒動(ミッチー・サッチーそうどう)は、1999年、浅香光代(ミッチー)と、野村沙知代(サッチー)との間の確執から派生した一連の舌戦、批判合戦である。当時共に年齢70歳近かった女性2人が繰り広げた口舌鋒は、写真週刊誌や民放各局のワイドショーを中心とするマスメディアにとっての格好のネタとなった。また、報道は沙知代に対するバッシングの様相を呈するようになったことから、単に「サッチー騒動」とも呼ばれる。
浅香光代とのバトルですな。
これだけ波瀾万丈で中身の濃い人生を送ってりゃ、85年でも長すぎたかもしれんな。
何にしても、謹んでご冥福をお祈り致します。
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