人類は、20年後に「不老不死」になるらしい…今日この頃。
(◎皿◎)ナンデスト!!
イギリスのケンブリッジ大学研究員で老年医学を専門としてるオーブリー・デグレイ博士とやらが、いくつかの条件を克服したら、20年後に人類は、不老不死になるって断言してるんやけど…
「不老」は魅力的やけど、「不死」はなぁ。
資産が1兆円とかのクラスのカネ持ちなら「不死」でもええんやろうけど、庶民が「不死」なんか手に入れたら、それこそ地獄やで。
で、その「いくつかの条件」なんやけど…
世界中で話題になっている画期的研究 20年後、人類は「不老不死」になる
(1)再生不可能な、脳や心臓の細胞が死ぬこと。
(2)細胞が正常に分裂せず、がん化してしまうこと。
(3)死んだ細胞が毒素を出し、周囲に影響すること。
(4)細胞が生み出す老廃物が、除去されずに細胞の中にたまってゆくこと。
(5)細胞の中でエネルギーをつくるミトコンドリアのDNAが、傷ついたり突然変異して、正しく機能しなくなること。
(6)細胞と細胞をつなぐコラーゲンなどのたんぱく質が、加齢とともにしなやかさを失うこと。
(7)新陳代謝によって生まれる老廃物が、細胞の外側にも付着すること。
この7つが老化の原因で、これをクリアすると「不老不死」を手に入れられるって話らしく、この7つをクリアする目処が立ったんやとか。
まぁ、iPS細胞で心臓がつくれるって事になっとるからなぁ。
ここまで来りゃ、論理的には可能なんは分かるけど…
仮に実現したとして、「不老不死」って幸せなんやろか?
まぁ、日頃の不摂生もあって、明らかに「老化」を実感してるんで、「不老」には心が動かされるけど…
「老化」っちゅうのは、「死」への準備段階なわけで、ちょっとづつ若い頃にはできてた事ができんようになって、死に対しての心の準備をする作業。
「不老」って事は、これがなくなるわけで、そうなると「不死」やないと、「不老」は辛いだけ。
じゃ、「不死」なら幸せかっちゅうと…
誰も死なんって事は、人口が減らんって事なわけで、今でさえ「食糧危機」が叫ばれてるのに、これ以上増えたら、間違いなく食えんようになる。
「不死」を手に入れる事によって、「殺し合い」をせなあかんっちゅう本末転倒な展開になるねんな。
じゃ、限られた人間だけが「不死」やったら、その人は幸せかっちゅうと…
「人は一人では生きられない」って言うけど、これは作物を作ってくれる人、それを運ぶ人、などなど1人が生きる為には、多くの人間が関わってるって事も意味してるんやけど…
「人」って食って、寝て、起きてを繰り返すだけじゃ、「生」を実感するのが難しいねんな。
他人がおらんと、生きてきた確認をするのが難しいねん。
「あんな事があったなぁ」「こんな事があったなぁ」って思い出話ができる相手がおるから、「あの時は確実に生きてた」って確認ができるわけで、これがなくなると、その確認作業ができんようになる。
親しい人が死ぬと辛いのは、可哀想とか、何とか色々あるけど、1番の要因はこれやと思う。
ようするに、その人が死ぬ事によって、自分の一部も死ぬねんな。
「人は死んでも他人の心で生き続ける」
というより、そうやって思い出を共有する相手がおらんと、「生きてる」「生きてた」って確認するのが難しい。
なので、誰かの心の中に存在せんと生きていかれへんねんな。
動いてるんやろうけど…
人は、他人の心に存在する事によって生きられる。
何かを達成した時も、自分の為とはいえ、誰かが聞いてくれたり、喜んでくれる人がおるから嬉しいわけで、誰もおらんかったら達成する意味もない。
ほんまに誰もおらんかったら、嬉しい事も、悲しい事も、何もない。
ただ動いてるだけになってしまう。
思い出を共有してくれる人がおるから、人は生きていけるねんな。
だから、肉体が滅んでも、その人の事を覚えてる人がおる限り、その人は生き続ける。
「法事」なんかは、その確認作業をする為の知恵やねんな。
「人は一人では生きられない」っていうのは、そういう事なんやと思う。
確認できんようになると、自分が誰かさえどうでもええ事になって、ほんまに生きてたのかさえ分からんようになる。
限られた人間だけが「不死」を手に入れると、そういう地獄を味わう事になるねんな。
まぁ、周りの人間を全員「不死」にすりゃ、それも解決するけど…
そうなると、結局、全員「不死」にせなあかんようになって、振り出しに戻ると。
長々と書いてきたけど、結論として、「不老不死」は、「不幸」の始まりで、「人類滅亡」の始まりって事やと思うな。
そもそも、親しけりゃ親しいほど、その人が死ぬと辛いのは、そこに濃い「自分」がおるから。
知り合いとか、知ってるだけ、となるにつれ、辛さや悲しみが遠くなるのは、そこにおる「自分」が薄いからやねんな。
人は、自分だけで生きてるような気になってるけど、人は他人の中でしか生きられへん。
知ってる人が多い、ようするに友達が多い人(つき合いの濃さも重要やけど)ほど、「生」が充実してるのもそのせい。
「思い出話」って、生きる為に必要不可欠な要素やねん。
オイラも含めて酔っぱらいは永遠に思い出話をするけど、自制が効かんようになって、確認作業の無限ループに陥ってるねんな(笑)
なので、酔っぱらいの思い出話は、「それ、さっきも聞いた」とか言わんと、「生きてる確認作業をしてるんやなぁ」と優しく聞いてあげて下さい(笑)
何か、秋になるとこういう話を書いてる気がするけど、まぁええか(笑)
何にしても、たまには「生きる」事について哲学してみて下さい。
そして、身近で亡くなった人を思い出してあげて下さい。
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