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神戸小1女児殺害 君野康弘被告の死刑を破棄し無期懲役確定へ 生田美玲さんの母親「娘に報告できない」

最高裁 神戸女児殺害の死刑判決を破棄

小1女児にわいせつ行為をして、殺害して、遺体をバラバラにするような生き物を生かしておかなあかん理由って何なんやろね。

クマが姿を見せただけで殺処分されるなら、こういう危険な生き物も殺処分するのが当然やと思うんやけど。

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最高裁 神戸女児殺害の死刑判決を破棄

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190704-00000502-san-soci
平成26年の神戸市長田区の小1女児殺害事件で、最高裁決定は、裁判員裁判の死刑判決を覆した高裁判決を支持した。国民の常識を刑事裁判に反映させることを目的に導入された裁判員制度の施行から10年。死刑については、裁判員が苦慮を重ねて出した結論よりも、プロの裁判官による「死刑適用基準」を重視する傾向は顕著となった。

裁判員制度導入後、死刑以外では、1審の裁判員裁判の結論を上級審でも重視する「1審尊重」の流れが定着している。

しかし、死刑をめぐっては事情が異なる。被害者が1人の殺人事件で、計画性がない犯行に死刑判決が出た場合は、過去の基準に従って上級審で破棄されてきた。最高裁司法研修所も24年7月、過去の量刑判断を尊重するよう求める研究報告を示している。

最高裁は今回の決定でも「死刑は究極の刑罰で、その適用は慎重に行われなければならない」と指摘した。

映像ニュースはコチラ

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20190704-00000010-jnn-soci

最高裁 神戸女児殺害の死刑判決を破棄

検察が1人殺害では珍しく死刑を求刑して、裁判員が求刑通り死刑判決を出したのに、高裁で死刑判決を覆して、最高裁もそれを支持。

しかも、理由が…

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最高裁「動機の身勝手さや犯行の残虐性を過大に評価した一審判決は是認できない」

最高裁「動機の身勝手さや犯行の残虐性を過大に評価した一審判決は是認できない」1

最高裁「動機の身勝手さや犯行の残虐性を過大に評価した一審判決は是認できない」2

「殺害の計画性が認められないことは重く見るべきで、動機の身勝手さや犯行の残虐性を過大に評価した一審判決は是認できない」

計画性の有無よりも、動機の身勝手さや犯行の残虐性の方が重要やと思うんやけど。

こういう判断基準が民意からかけ離れてるって事で裁判員裁判を導入したのに、こうやって今までどおりの判断基準でやりますって宣言するんやったら、裁判員裁判なんかやる必要ないがな。

「死刑」以外では裁判員裁判を尊重するって事やなのに、何でここまで死刑を回避したがるんかさっぱり分からん。

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死刑の判断基準

死刑求刑事件で量刑の判断基準となっているのが、永山則夫元死刑囚=9年執行=が起こした連続4人射殺事件で昭和58年に最高裁が示した「永山基準」。(1)犯罪の性質(2)動機(3)犯行態様(4)被害者の数など結果の重大性(5)遺族の被害感情(6)社会的影響(7)犯人の年齢(8)前科(9)犯行後の情状-の9項目を総合的に考慮し、やむを得ない場合に死刑選択が許されるとしたものだ。この中で、特に重視されてきたのが(4)の被害者の数だった。

この「永山基準」を裁判員はおかしいって言うてるのに、最高裁がいつまでも昭和58年の判断に縛られてたら裁判員裁判をする意味がないねん。

40年近く前の基準やねんで。

ほんま、何の為の裁判員裁判か分からん。

生田美玲さんの母親のコメント

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190704-00000000-mai-soci
本日、娘の事件について、上告が棄却されたとの報に接しました。

私たち遺族は、被告には生命をもって償ってもらうほかないと考えておりました。娘の命が奪われた事件について、正当な判断をくだしてほしいと考えておりました。そのような思いから、私は、地方裁判所でも高等裁判所でも、裁判に参加して、質問して、意見を述べてきました。高等裁判所で無期懲役の判決が出た後も、最高裁判所で判決を覆していただけるものと信じてきました。

しかし、そのような思いは、かないませんでした。

娘の事件について、裁判員裁判では、被告には死刑が相当であるとご判断いただきました。私たち遺族は、その判断は正当なものであったと今でも確信しています。娘は、理不尽に命を奪われました。6年しか生きられませんでした。娘が生きていれば、今年、小学校を卒業することになっていたはずです。私たち遺族は、あの事件の日から時間が止まったままでいます。あの事件は、娘の将来を全て奪ってしまいました。

被告は、娘の味わった痛み、苦しみ、恐怖、絶望、私たち遺族の悲しみを理解しているとは思えませんでした。裁判を通じ、被告からは、反省も、償おうとする思いも伝わってくることはありませんでした。ただ、刑を軽くしようとしているとしか思えませんでした。

裁判員裁判では、長い時間をかけて審理して、被告に直接質問をして、被告の犯した犯罪の悪質さや被害の重大さを正面から捉えていただきました。そのうえで、事件の残虐さや、被告の反省のなさを見極めて、死刑以外にはないと判断していただきました。

そのような判断を、高等裁判所や最高裁判所が覆してしまったのは納得がいきません。裁判官は、前例を大事にしているだけで、一人の命の重さを理解していただいていないとしか思えません。亡くなったのが一人であれば死刑にならないという前例は、おかしいと思います。計画性がないとか、前科がないというのも、それだけでは死刑にしない理由にはなりません。そのような前例だけで判断して、命の重さを直視しないのであれば、何のために裁判員裁判をしたのかと思います。

本日接した最高裁判所の決定には、私たち遺族は納得できませんし、娘に報告できないと考えています。娘には、裁判員裁判での判決を維持してもらうことができず、申し訳なく思います。改めて、娘の冥福を祈ります。

ほんま、遺族は辛いやろな。

こういう事をされると遺族は自ら仇討ちせんとあかんようになる。

だいたい、前例で判決を決めるなら、人間が裁判をする必要なんかないねん。

裁判官を全員AIに切り替えて、今後は裁判を機械化するんですな。

そうすりゃ、裁判員裁判をやらんでもよくなるし、裁判が長期化する事もない。

何にしても、最高裁がこういう判断を下すなら、裁判員裁判をやる意義なんてもんがないんで、とっとと裁判員裁判はやめる事ですな。

それで、将来的にはAIで裁判をして、即日結審するようにして欲しいもんです。











死刑・死刑廃止論
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