高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河(斐伊川)の上流の鳥髪(とりかみ、現奥出雲町鳥上)に降り立った。
と、つぶやきながらスサノオが、川を眺めてると上流から箸が流れてきて…
と思い、上流に向かって歩いていくと老夫婦が小さな女の子を抱えながら…
。・゚・(ノД`)・゚・。ウォーン
と、1人の少女を囲んで泣いている老夫婦がいて、それを見たスサノオが…
と答え、それを聞いてスサノオが…
そのからだには、コケや杉やヒノキなど木が生え、その長さは、八つの谷と八つの峰にまたがり、その腹は、いつも血がしたたって、ただれております」
と、現状を理解したスサノオは、少し考えて…
こんな状況で、求婚するって、あんた…
追放されたんですけど…
そう言うとスサノオは、クシナダヒメを櫛に変えて髪に刺した。
老夫婦は、スサノオに言われる通りに準備をし、ヤマタノオロチが来るのを待った。
しばらくすると、ヤマタノオロチがやってきて、八つの桶に八つの頭を突っ込んで、酒を飲み始めた。
ドーーーーン!!
「ゴーゴー」
酒を飲み終えたヤマタノオロチは、すさまじいイビキをかきながら、眠ってしまいました。
すかさず、スサノオは持っていた十拳剣でヤマタノオロチをズタズタに切り刻む。
ヤマタノオロチの体から流れる血でが真っ赤に染まる。
カキーン!!
ヤマタノオロチの尻尾を切り刻んでいたときに、十拳剣に何か固いものがぶつかり、刃が欠けてしまう。
おかしいと思ったスサノオは、剣の先を尻尾に刺し、切り開いて見ると、そこには立派な剣が。
これが、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、後にヤマトタケルノミコト(日本武尊 倭建命)が、敵から火ぜめにあったときに、草をなぎはらったということで有名になる「草薙の剣」(くさなぎのつるぎ)。
不思議に思ったスサノオは、この剣をアマテラスに献上する。
十拳剣が欠けたっちゅうことは、十拳剣は青銅製で、天叢雲剣は鉄製。
ここでも出雲が、かなり文明が進んでたことが分かる。
ヤマタノオロチを退治したスサノオは、宮殿を作る地を探して出雲国の須賀(すが)の地へやって来て…
って、誰がそんなオヤジギャグを言えっちゅうたんじゃ(笑)
この時代でも、オヤジギャグはあったんやな。
そう言って、そこに宮殿を作ったので、今でもそこは「須賀(すが)」という。
そこで、スサノオは…
と歌を詠んだとさ。
そして、アシナヅチを呼んで…
こうして、この宮殿で新婚生活を送ったスサノオとクシナダヒメは次々と子供を産み、その7世の孫が大国主神(オオクニヌシノカミ)となる。
この話は、ヤマタノオロチが洪水の象徴で、クシナダヒメが稲田の象徴っちゅう説があるけど、そう考えるのが自然やろな。
血で真っ赤に染まるっちゅう表現も、川が濁ったって考えたら辻褄があう。
スサノオは、稲田を守る為に洪水を防いだと。
治水技術があり、鉄があり、稲田がある。
本来なら、アマテラスの血統のみを紹介していきゃええとこを、ここに強引に出雲神話を挟んでるとこを見ても、大和朝廷を語る上で、出雲は無視出来ん存在やったっちゅうことなんやろな。
しかも、その出雲は、アマテラスの弟スサノオが作ったことにしとる。
なかなか見事な構成やな。
どっからどう読んでも、天皇の正当性を疑うことは出来ん構成になっとる。
出雲は、大和朝廷、日本っちゅう国家の誕生を語る上で避けて通れんかったんやな。
この頃の出雲は、中国地方はもちろん、北九州から福井県まで勢力があったとされてる。
それだけ強大な勢力やった。
その後の「邪馬台国」が、九州から関西まで諸説あるのは、その影響かもしれん。
まぁ、「邪馬台国」は、日本の歴史書には出てこん。
魏志倭人伝とか三国志にしか出てこんから、「大和の国」を魏の人間が、その音を当て字にして、侮蔑する字を使って「邪馬台国」って書いたって考えるのが自然やわな。
中国人は、アメリカを亜美利加(日本はそれにならって亜米利加やけど)って書くしな。
欧米にゃ、侮蔑した字を当てんけど…
「卑弥呼」も「ひめみこ」の当て字やろ。
ヒミコも日本の歴史書にゃ出てこんからな。
何にしても、このヤマタノオロチの話辺りが、縄文時代と弥生時代の境目なんやろ。
スサノオの成長が、縄文から弥生の変化とリンクしてる。
「出雲風土記」も読んだ方が良さそうやな。
今回はここまで、
次回は、これまた有名なイナバウアー(そんなオヤジギャグいらんか?)の話。
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