PR

1万円札に渋沢栄一 5千円札に津田梅子 千円札に北里柴三郎 紙幣と500円硬貨デザイン一新へ

聖徳太子から福沢諭吉になって渋沢栄一ですか。

一気に格が落ちたっていうか、ネームバリューが落ちた感があるな。

スポンサーリンク

紙幣を刷新へ 1万円渋沢栄一 5000円津田梅子 1000円北里柴三郎

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190409-00000002-mai-bus_all
政府は数年後をめどに、1万円などの紙幣の肖像画を変える準備に入った。肖像画の変更は2004年以来となる。政府関係者が9日未明、明らかにした。

1万円札は第一国立銀行や東京証券取引所など多くの企業を設立、経営した実業家、渋沢栄一▽5000円札は津田塾大学の創始者、津田梅子▽1000円札は「近代日本医学の父」として知られ、ペスト菌を発見するなど医学の発展に貢献した北里柴三郎の肖像画を使用することを検討している。

1万円札の肖像は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来の変更となる。5000円札の肖像は04年に新渡戸稲造から日本で戦後初めて女性の樋口一葉になり、1000円札の肖像は同年に夏目漱石から野口英世に変わっていた。

紙幣の様式は通貨行政を担当している財務省、発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局の3者で協議し、日本銀行法に基づいて財務相が決める。

映像ニュースはコチラ

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190409-00000010-nnn-bus_all

1万円札が聖徳太子→福沢諭吉→渋沢栄一

5千円札が聖徳太子→新渡戸稲造→樋口一葉→津田梅子

千円札が聖徳太子→伊藤博文→夏目漱石→野口英世→北里柴三郎

こうして見ても渋沢栄一は新渡戸稲造並にネームバリューがない気がするな。

で、2千円札はどこにいった?(笑)

スポンサーリンク

1万円札になる渋沢栄一

渋沢栄一 - Wikipedia
渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) – 昭和6年(1931年)11月11日)は江戸時代の武士、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる。

正二位勲一等子爵。雅号は青淵(せいえん)。

生い立ち
天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)に父・渋沢市郎右衛門元助(1810年 – 1871年)、母・エイの長男として生まれた。幼名は栄二郎。のちに、栄一郎、篤太夫、篤太郎を名乗る。渋沢成一郎は従兄にあたる。

渋沢家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営し米、麦、野菜の生産も手がける豪農だった。原料の買い入れと販売を担うため、一般的な農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められた。市三郎も父と共に信州や上州まで藍を売り歩き、藍葉を仕入れる作業も行った。14歳の時からは単身で藍葉の仕入れに出かけるようになり、この時の経験がヨーロッパ時代の経済システムを吸収しやすい素地を作り出し、後の現実的な合理主義思想に繋がったといわれる。

知ってる人は知ってるけど、渋沢栄一は知らん人の方が多いんちゃう?

業績から考えたら順当やと思うけど、ネームバリューがなぁ。

ネームバリュー的には大隈重信あたりの方が良さそうな気がする。

個人的には「織田信長じゃあかんのか?」と思うけど。

スポンサーリンク

5千円札になる津田梅子

津田梅子 - Wikipedia
津田 梅子(つだ うめこ、元治元年12月3日(1864年12月31日) – 昭和4年(1929年)8月16日)は、日本の教育者。日本における女子教育の先駆者と評価される。女子英学塾(のちの津田塾大学)創立者。

初名はうめ(「むめ」と書いた)で、明治35年(1902年)に漢字表記に改めて「梅子」とした。

梅子は、津田仙(旧幕臣・東京府士族)・初子夫妻の次女として、江戸の牛込南御徒町(現在の東京都新宿区南町)に生まれた。 父・仙は幕臣であったため、幕府崩壊とともに職を失ったが、明治2年(1869年)に築地のホテル館へ勤めはじめ、津田家は一家で向島へ移った。仙は西洋野菜の栽培なども手がけ、幼少時の梅子は手習いや踊などを学び、父の農園の手伝いもしている。

5千円札は女性枠って考えたら、樋口一葉からの津田梅子で順当な感じですな。

千円札になる北里柴三郎

北里柴三郎 - Wikipedia
北里 柴三郎(きたざと しばさぶろう、1853年1月29日(嘉永5年12月20日) – 1931年(昭和6年)6月13日)は、日本の医学者・細菌学者である。貴族院議員・従二位・勲一等・男爵・医学博士。

私立伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)創立者兼初代所長、土筆ヶ岡養生園(現在の北里大学北里研究所病院)創立者兼運営者、第1回ノーベル生理学・医学賞最終候補者(15名の内の1人)[1]、私立北里研究所(現在の学校法人北里研究所)創立者兼初代所長並びに北里大学学祖、慶応義塾大学医学科(現在の慶應義塾大学医学部)創立者兼初代医学科長、慶應義塾大学病院初代病院長、日本医師会創立者兼初代会長。

「日本の細菌学の父」として知られ、ペスト菌を発見し、また破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献した。門下生らはドンネル先生との愛称で畏れられて、親しまれていた

千円札は医療関係枠って考えたら、野口英世からの北里柴三郎で順当な感じですな。

医療関係枠って縛ると次から大変な気もするけど。

何にしても、聖徳太子から全てのピン札をコレクションしてるんで、新たに福沢諭吉と樋口一葉、野口英世をコレクションに加えたいと思います。

追記 1万円札 5千円札 千円札の新デザイン

エラー|NHK NEWS WEB

新1万円札

新5千円札

新千円札

前回同様最初はしっくりこんけど、前回同様そのうち慣れるんやろな。

5年後やから、まだまだ先の話やけど。











時事問題
ぶんぐをフォローする

コメント

  1. え?これってまたタンス預金の一掃とか、貸金庫の中身のあぶり出しの為ですか?私は諭吉先生のままで良い気がするのですが。…また一悶着ありそうですね(^_^;)))

タイトルとURLをコピーしました