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死刑執行に抗議が相次いでるらしいので、死刑について考えてみた

死刑執行に抗議が相次いでる…今日この頃。
/(-_-)\ ウ~ン

死刑執行より、死刑判決が出てるのに執行されんと生き続けてる人間が100人以上もおる方が問題やと思うけど。

「死刑」の実態を知ると、簡単に「存置すべき」とも言えんし、死刑廃止派の意見にも一定の説得力は感じる。

けど、畠山の裁判の記事の時にも書いたけど、「人を殺した人間が生きてていい理由」がどうしても分からん。

で、今回の抗議でもう一つ分からん事が出て来た。

「更正の可能性がない」といったい誰が断言できるのでしょう。

人殺しに「更正」するとか、せんとかにどれ程の意味があるんやろ。

じゃ、何か?
反省や謝罪、更正の余地がある人間は、人を殺してもいいとでも?

ちゅうか、逆に問いたい。

「二度と人を殺さない」といったい誰が断言できるのでしょう。

更正の余地があるとかないとかより、再犯の可能性があるのかないのかの方が重要やないんかね。

個人的には「死刑」がない方がいいとは思う。

けど、「死刑」をなくすには、「殺人」っちゅう犯罪がなくなる事が前提やろな。

もしくは、「人権」を無視した矯正治療の確立。

意味もなく人を殺せるっちゅうことは、脳に何らかの障害があるんやろうから、徹底的に人体実験して原因を探る。

場合によっちゃ死んでも構わんぐらいにな。

これは、何があっても実現不可能なんで、死刑廃止派に回りたいと思うけど、どうにも無理なようです。

それにしても、来年から裁判員制度が始まるけど、おそらく「死刑判決」は減るやろな。

人は誰しも「良い人」でいたいっちゅう心理のが強いから、「更正の余地」とかもっともらしい事言われると、犯人に対して「死ね」とは言えんようになると思う。

そして殺人者は野に放たれるわけやな。

まぁ、「死刑」の「廃止」や「存置」よりも、「自殺」も含めて「命の大切さ」っちゅうのをまず考えなあかん状況かもしれん。

「自殺」も含めて、人が人を殺すことがどういう事かっちゅうことをな。











死刑・死刑廃止論
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